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ドイツ我楽多市
第3回 「ヘンゼルとグレーテル」とお菓子(レープクーヘン)  文:Prof. ツヴェルク
 
 毎年12月に入るとドイツのニュールンベルクでは、おもちゃの見本市が開かれる。この町と見本市についてはまた別に書くこととして、ここではそれに合わせて行われる色々な催し物の一つ「ヘンゼルとグレーテル」のオペラの話から始めたい。
いうまでもなくグリム兄弟の作品の脚本化であるこのオペラは面白かった。一般に歌詞は歌われた場合、日本語であっても正確には聴き取りにくいものだが、舞台で演じられる出来事が大体グリムの原作を知っていれば見当がつくから、気楽に見ていられた。これは一つにはワーグナー風の聴衆をうっとりと陶酔させるような魔力を持った音楽の故もあったような気がする。というのが後から知ったのだが、この曲の作曲をした19世紀後半に活躍したフンパーディングという人は、ワーグナーの一番弟子で、最も師匠の影響を受けた人だ、という解説もあったからである。

 観客席には、恐らく親と一緒というのが大部分だったのだろうが、子どもの姿が圧倒的に目についた。子ども役の俳優はどうも小柄な人が選ばれていたらしい。ヘンゼルは女優が演じていた。演出や舞台背景はまったくリアリズムと言っていいだろう。随分凝ったものだ、という印象を持った記憶がある。そして今もありありと覚えているのは、魔女の老婆が子どもたちによって、かまどの中へ突き落とされると、瞬間パッと火の粉が舞い上がるようになっていて、観客席の子どもたちが、ワッと喜びの叫び声を挙げたシーンである。一番残酷な場面の筈がシュンとならずに、騒ぎになったのは何故か。恐らく単純に悪い魔女がやっつけられたのだから、嬉しいという気持ちなのだと思うが、実は筆者はプログラムの或る記述を読んで、このシーンがいやに気になっている。
 とはいえ、今ここで筆者が語りたいのは、そんなに難しい問題ではない。冒頭で、そのうちにこのニュールンベルクという町を紹介すると述べたが、そこで挙げる筈だったこの町の名物であるレープクーヘンというケーキとの関連である。これは蜂蜜、果物、木の実、シロップなどを練り合わせ、胡椒、シナモン等の香辛料で味付けしたケーキで、岡山の吉備団子、京都の八つ橋に相当するわけだが、本当に旨いので、筆者の家族も全員これが好物とあって、この町の知人が毎年送ってくれる。何故か日本では全く売られていない。
 さてプログラムには、「ヘンゼルとグレーテルが森の中で発見した魔女の菓子の家というのは、実はこのレープクーヘンから出来ていた」と書いてあった。それだけなら、ただニヤリとするだけなのだが、その証明がヤケに実証的なのである。即ち、1647年7月15日だから30年戦争終結のほぼ1年前のこの日、カタリーナ・シュラーデリンという名の女性が、ニュールンベルクの近郊のゲルンハウゼンで魔女として裁判を受けているのだが、この事件が変容した形で語られているのが「ヘンゼルとグレーテル」だというのである。

 1618年にある炭焼きの7番目の娘として生まれた彼女は、16才でクヴェートリンブルクという修道院の厨房で1638年まで働いていた。この間に彼女は、当時その所在が記録的に確認されている或るトルコ人の宮廷菓子職人から、レープクーヘンの作り方を習ったらしい。そしてこの職を去った後、ニュールンベルクの朝市でテントを張ってこのケーキを売った。これが非常によく売れて高い評判になったという。するとこの町の宮廷御用達のパン屋であるハンス・メッツラーがこれを知って、彼女に結婚を申し込んで来た。この申し出に対してその背後に何かよからぬものを予感した彼女は拒絶した。しかし彼は諦めなかった。何度でも執拗に彼女に迫ってくるようになった。その余りの厚顔に恐怖を抱いたカタリーナは遂に1647年、ケーキ製造に必要な道具だけを持ち出して逃げ出した。
 逃げ出した先はエンゲルスベルク山の麓の森の中で、後にこの家が魔女の住みかとして有名になったという。ここでも彼女はまた幾つもの新しいレープクーヘンを作って、こっそり朝市に出していたが、次第にその名が人の口の端に登るようになり、ハンスの聞き知るところとなって、またもや激しい妬みを引き起こすこととなった。彼はカタリーナを魔女であると訴えて出たのである。しかしハンスの失望したことには、裁判の結果、彼女は無実であるとして、釈放されてしまった。そこでもはや他に手段はないと見たハンスは、妹のグレーテを連れて、エンゲルスベルク山の麓の家を襲ったのである。まずカタリーナの首を締め、その死体をパン焼き竈に放り込んで、その後ゆっくりとグレーテルとともに家中をくまなく探した。しかし思いがけないことに、どこを探しても、彼らはレープクーヘンのレシピを発見出来なかったという。記録によると、この兄弟は逮捕されたが、不思議なことに釈放され、特にハンスは1648年にはニュールンベルクに現れ、以後、名高い菓子職人としての名を恣にして、1660年に死んだそうである。
 ちなみに、ヘンゼル(Hansel)とグレーテル(Gretel)はともにハンスとグレーテの愛称であるから、この事件がグリムのメルヘンの基盤になった可能性はかなり高い。更に何故魔女が森の中に住んでいたのか、という謎も解ける。そして先に彼女が竈へ投げ込まれる場面での子どもたちの喜こぶ光景が気になり出した、と述べたが、それは本当は被害者が間違って殺される場面の筈だったからである。あの旨いレープクーヘンの誕生の秘密が、この傑作の裏に隠されていたとは予感だにしなかった。この
報告をしている学者は、グリムがこの事件を利用し、改ざん竄したと見ているのだが、これ
こそが最大の謎であろう。それにしても、よく言われるグリムのメルヘンに含まれる残酷性を本当はどう考えたらよいのか。

ツヴェルク=小人
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