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ドイツ我楽多市
第6回 「噴水のほとりで」  文:Prof. ツヴェルク
 
 岡山駅前に噴水が出来た頃、覗いてみたら1円玉やら10円玉やらが沈んで光っていた。ローマのトレビの泉では、貨幣を後ろ向きに投げ入れると、またローマに来ることが出来るという言い伝えが有名だが、岡山の場合もそうなのか。ローマに沢山残された古代からの噴水は今も当時のまま、はるばる遠方から運ばれて来た自然の水を吹き上げているのだそうだが、岡山ではカルキ臭の強い水道水だろうから、魔力がないのではないか、などと他愛もないことを考えた。
 土木建築に優れていたローマ人は、あちこちの植民地にも、ドイツ語で井戸、泉等も指すブルンネン(Brunnen)を残して去った。そのおかげで、ヨーロッパの都市には美しい噴水があちこちにあって、広場とか教会等とともに日本とは違う雰囲気を生み出す構成要素の一つとなっている。そして夏には子供たちが水浴びをしたり、老人が涼んだり、秋には恋人たちが語らったりする場所である。シューベルトの「菩提樹(ぼだいじゅ)」でも疲れた旅人を癒す泉が歌われている。
 若い時、スイスのチューリッヒ近くの或る村に、この国ではまあ日本の夏目漱石ぐらいに相当するG.ケラーという19世紀の作家の故郷を訪ねたことがあった。駅を出て野中の道をフラフラ歩いて行くと、買い物籠をさ 提げたおばさんに会い、この作家のゆかりのものはないかと尋ねたら、青リンゴを一つくれて、ものすごい訛(なまり)で村の小学校を教えてくれた。行ってみると校庭の片隅に、その作家の少年時代の姿を真ん中に座らせた噴水があって、水の落ちる水盤の縁には、作品に出てくる少女の顔が刻まれていた。素朴な噴水だったが、かえって村人たちの想いが込められているようで、そのひっそりとたたずむ姿に感動したのを思い出す。その後思いがけぬきっかけで、村の人と親しくなって泊めてもらった話しは省略しておこう。結局長い交合(つきあ)いになったのだが。

 ニュールンベルクにちょっとびっくりした噴水がある。旧市街の真ん中近く、聖ロレンツ教会の前にある「美徳の泉」である。4層から成っていて、下から2番目の層に恐らく各々が一つの美徳を表す女性の全身像が6体、ぐるりと中心を取り囲む形に立っている。その上の層では天使像が数体取り巻いて、一番上に公正を表す女神像が天秤を掲げて立ち、6道徳を支配する形なのだが、特徴的なのが、美徳の各女人像の両乳房から水流が、下方目がけて射るようにほとばし奔走り出ていることである。美徳を生命の水とせよ、ということであろうか。解説書によると16世紀のベネディクト・ヴルツェルバウアーという人が1584年から1589年の間に建てたらしいのだが。
こんなに何百年も昔でなく、1984年に出来たばかりだから随分新しいが、非常に興味深い泉がある。この町を取り囲む市壁の所々にある門は大抵高い塔から成っているが、その一つ、西の白塔(ヴァイサー・トゥルム)の前に出来ている噴水で、Ehekarusselだから「結婚生活のメリーゴーラウンド」とでも訳せばよいだろうか。16世紀にこの町で靴屋の親方でありながら、歌人、詩人であり、劇作家でもあったハンス・ザックスの詩をもとに構想され、モダーンに造形された新しい名所である。ハンス・ザックス自身は噴泉の一段高い台の上に立って、天を仰ぐ像になっているが、別に昔からの巨大な座像が町の中心部近くにある。この職匠歌人(マイスター・ジンガー)は、ワーグナーの同名のオペラにも歌合戦における重要人物として登場するから、音楽愛好家にはなじみの名前である。

 筆者はハンス・ザックスの謝肉祭劇を学生時代に読まされた記憶があるが、この噴水の基になった詩は知らなかったところが、丁度絵葉書にその一節が印刷されているので、ちょっと読んでみると、「ほろにが夫婦生活」と題され、よき妻を与えてもらったことを神に感謝する。その妻と22年間暮らしたが、甘いことも酸っぱいことも、喜びも苦しみもあった、と述べた後で、
彼女は我が魂の天国でもあり、
しばしば地獄でもある。
彼女は選ばれた我が天使であり、
しばしばれんごく煉獄の悪魔でもあった。
  彼女は我が五月、薔薇の生け垣であり、
  しばしば雷鳴であり、稲妻であった。
   ・・・・・・・・・・・・
と、「苦くて甘い」相反する二つの相を続けてゆく。メリーゴーラウンドとは、この噴泉の夫婦群像の製作者が名付けたのだが、その名の通り、これらの相反するイメージを与える6組の夫婦像がぐるりと輪になって刻まれているわけである。全裸の若い男女が外界のことは忘れてくちずけと愛の語らいに夢中になっている、その隣で老人夫婦が、互いに鎖につな繋がれて、火炎の中にいる。ペリカンの車で若い母親が二人の子供に食べ物を与えているそばで背広姿の夫が何か言っている。とりわけ印象的だったのはその隣の、太った妻が自分と夫の分の二皿をがつがつと食らうかたわらに、やせこけて空腹でやつれ切った夫がいる像である。

 実は、知り合いのドイツ人夫妻に筆者と妻がこの噴水に案内された頃、筆者は胃を悪くして 本
当にやせこけていて、一方妻は好調そのもので丸々と太っていた。そしてこの知人の夫は1メートル96センチ、体重115キロのドイツ人としても巨漢だったから、その間に立った筆者は、まさにこの泉の彫像の哀れな夫に似ていたらしい。道行く人がニヤニヤとしているように思えて仕方がなかった。妻もその印象を記憶していて、以来 この泉はそいういう因縁で大のお気に入りである。
ツヴェルク=小人
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