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ドイツ我楽多市
第11回 「ケーキとクリスマス」  文:Prof. ツヴェルク
 
 先日、スウェーデンの女性が、自分の国にはクリスマスケーキというものはない、とテレビで語っていたが、同様にドイツにもない。確かめたわけではないから保証はし難いが、ヨーロッパのどこの国にもないのではないか。そうだとすると日本のクリスマスケーキの由来が問題である。漠然と西洋
から来たと思っていたが、ひょっとすると日本のケーキ屋の作戦が成功して、定着したのではないかという疑念も湧く。サンタクロースの場合もこれに似て、ドイツではその原型とされる聖ニコラウスの祭日は12月6日で、しかもこの聖人は、ループレヒトというお供に、よい子には贈り物を、悪い子には懲らしめを与えさせるというから、大分イメージが違っている。
 一般に外国文化の輸入に際しては、種々に変質や変形を伴うのが常だが、些細な違いで当該の国への一般的なイメージが出来上がってしまうことがあるから、時には自分の固定観念を検討したり、修正する必要がありそうだ。ケーキの例で言うと、日本ではすっかりお馴染みのバウムクーヘンは、ドイツの代表的なケーキということになっているのだが、実際はドイツではなかなかお目にかかれなくて、ドイツ人でも知らない人は珍しくない。これは完全にケーキ屋の勝利と言える。
 クリスマスケーキはないが、それと関係あるケーキとしてシュトレン(Stollen)がある。このケーキは数年前から日本でも店頭によく見かけるようになった。ただどうもアトヴェント(Advent)への関係づけは誰の念頭にもないようだ。アトヴェントというのは待降節とも訳され、キリストの降誕を待つクリスマスまでの準備の期間で、11月26日以後の最初の日曜日で始まる4週間を指す。この間
クリスマスツリーと同じ樅(もみ)の葉の飾り輪(Kranz:クランツ)に4本の赤い蝋燭(ろうそく)を立てて、日曜日毎に
一本ずつ点火していく。そしてその都度シュトレンを4分の1ずつ食べる。このケーキは一見、日本の豆餅に格好が似ていて、これは幼児キリストをくるんだ産着の形だとも、あるいは坑道に似せているともいわれる。

 直接にクリスマスではなく、玩具見本市に関連するケーキもある。前にグリムの物語との関連で触れたことのあるレープクーヘン(Lebkuchen)である。これはドイツでは非常に有名であるのに、不思議なことに日本には全く輸入されていないらしい。ニュールンベルクの名物で、筆者も家族もこれが好物なので、ニュールンベルクの知人が今年もどっさりと送って来てくれた。薬味を色々と使ったケーキだから、日本人の味覚には合いにくい嫌いがあるのかもしれない。しかしこのケーキは、ニュールンベルク玩具見本市を成り立たせる大事な一員である。というのがこの玩具市は正式には「幼児キリスト見本市」(Christkindlesmarkt)といって、核になるのはクリスマスの贈り物としての玩具だが、甘いケーキもそれに添えられる一つの伝統的な構成要素だからである。

 贈り物をするのはサンタクロースではなく、幼児キリストで、無論クリスマスイヴにする点は変わりない。玩具市がアトヴェントの前の金曜日に始まって、期間的にほぼ重なっているのは当然として、その発生が宗教改革に関係ありとは余り知られていない。というのはこの期間内にも聖ニコラウスの他に聖アンドレアスとか聖バルバラなどの祭日があるように、長い伝統を持つカトリック教は奇跡を起こしたり、犠牲になった僧や信者をも聖者として祭り上げたから、本体のイエスキリストの影が薄くなってしまった。一つには土着化、地方化によって、聖書を読めない層の信仰が定着するのを助けたとも言える。そこで起こった16世紀の宗教改革は、免罪符の否定に端を発して色々な意義を持つが、一つには上の偏向を是正する、御本尊への復帰を目指した。その結果、各聖人の祭日に行われていた贈り物がこの期間に集中し、あちこちの場所の市(マルクト)が現在の聖母教会前の広場という一カ所に統合されたというわけである。
 クリスマスイヴの教会での儀式に際しても、新旧に差が見えて、新教のほうでは言葉、即ち説教に比重がかかり、旧教のほうでは典礼(ミサ)とか音楽等によって宗教心を起こさせるムード作りの方に比重が傾いているらしいのも、歴史的な名残であろう。ただどちらも墓参りに行く。花を供えるところは日本とも似ているが、線香はなくて、ローソクに火を灯す。日が暮れるとこれは宗派や地方とか家庭によって多少違うようだが、樅(もみ)の木の回りに立って、聖書のキリスト誕生の場面を読み上げたり、「聖し、この夜」を歌ったりする。それからプレゼントの手渡しがある。ドイツではそれまで樅(もみ)の木の根もととか、あるいは別な部屋に置いて、胡桃割り人形に番をさせ、その怖い顔を和らげる役のパイプマンを並べて、鍵を掛けることもあるとか。次に前に紹介した19世紀ロマン派の作家E.T.Aホフマンから引用しよう。
 「12月24日のことだった。・・・シュタールバウム家の子供たちは、今日は一日中あそこの真ん中の部屋には入ってはいけないと申し渡されていた。・・・そのうちにもう辺りはすっかり暗くなって、フリッツとマリーは身体を寄せ合って身動きもしなかった。
 丁度そのとき、銀の鈴のように涼しげな音がリンリンと響いて、ドアが右と左に突然パッと開いたかと思うと、隣の大きな部屋から明々と輝く光が射し込んできたので、子供たちは思わず敷居の辺りまで駈けて来ると、身体が強(こわ)ばったようにすくんでしまった。・・・部屋の真ん中に立っていた大きなもみ樅の木には金の林檎や銀の林檎がそれはもう沢山ぶら下がって、蕾(つぼみ)や花のように枝という枝から顔を覗かせていたのは・・・マリーがまず目に留めたのは人形、それに素敵な小さなままごと道具・・・」(胡桃割り人形と鼠の王様)
 この後家族全員でテーブルを囲んでご馳走を食べる。イギリスなどでは七面鳥を食べ、ドイツでも鳥料理を食べる所も少なくないそうだが、筆者の知る限りでは鯉の丸茹でが多い。素朴な塩茹でにして、バターをかけて食べる。プロテスタントの場合は、先に述べたように夕方教会でお説教を聞き、蝋燭をもらって祭壇の火を家に持ち帰って点火する。カトリックの場合は真夜中に鳴る教会の鐘の音を合図に、凍てつく氷を踏んで深夜ミサに出かけるのである。
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