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ドイツ我楽多市
第12回 「おもちゃメッセ玩具見本市(Ⅱ)- 中世都市ニュールンベルク」  文:Prof. ツヴェルク
 
 前回、この見本市の必須の構成要素としてレープクーヘンを挙げたから、ここで他の要素も挙げておこう。
(1)金箔天使(2)玩具類(3)クリスマス・ピラミッド(4)胡桃割人形 (5)パイプマン(6)プラム小人(7)レープクーヘン(8)焼きソーセージ(9)ホットワイン(10)綿菓子(11)聖母教会(ドーム)(12)美しの泉 (13)公顕祭の子供たち(14)干し菓物入りパン
 
  見本市の展示品のみならず、食べ物から建築物まで含まれるこの一覧は、筆者が気ままに作ったものではない。最近ニュールンベルクの知人がクリスマスプレゼントとして送ってくれた『幼児キリスト見本市に呪縛(じゅばく)されたニュールンベルク』という本の記載である。
最初の金箔天使(Rauschgoldengel)とは、図のような腕のない天使像で、身にまとっているものがすべて金キラキンのマスコット(キャラクター?)である。見本市の開催期間中は町中に溢れる。大型のものが街路の真中から吊られ、道の角に置かれ、小型のものが店頭に並び、クリスマスツリーにぶら下がる。その由来に2説あって、一つは、30年戦争(1618~48)の間、ある人形作りの娘が病気になり、熱にうかされながら腕のない天使の夢を見た。娘は死に、その悲しむ母親を慰めるために父親がその天使像を作ったというもの。 もう一つの説は、1570年にフランスのリヨンから、一人のしんちゅうさいくし真鍮細工師が逃げて来た。その時連れて来た娘が死んだので、悲しんだ父親が作ったというもの。この説は信憑性が高い。というのは、当時ニュールンベルクの商業界は、金属加工で有名だったリヨンとの取引関係が密で、それで金キラキンの説明もつくし、また旧教に囲まれた世界から夥(おびただ)しい新教徒が亡命して来て、後の新旧両派に分かれてドイツ全土に戦禍を招いた30年戦争の予兆を響かせていたのも事実だからである。ベルリンの人口の4分の1はこの移住者で成り立っていたといわれる。ただし現在この天使の羽根は金属ではなく、しなやかな金紙製である。

↑金箔天使

100(DB) ニュールンベルク駅 1 フラウエン門 5 聖ロレンツ教会 6 美徳の泉 11 マルクト市(Markt)の立つ広場(美しい泉) 10 フラウエン教会 16 皇帝城(Kaiserburg) 20 聖ゼバルドゥス教会 26 エリザベス教会
 見本市の開会宣言は、市の開かれる広場に面して立っている聖母教会(10)の前に特設の高い台の上から、両側から金箔天使にはさまれて、幼児キリストの姿に扮した若い女性が行う。目の前にはクリッペを中心に夥しい玩具展示の小屋が広がっている。この女性は当市の二つの新聞社の募集で選び出す。条件は19才から16才の間の当市民であること、当市の歴史に通じていること等幾つかあって、その中に高所恐怖症でないことというのがある。高い台の上での宣言に物怖(ものお)じしては困るというわけだ。その後は無論広告写真に撮られたり、映画に出演したり、使者として他の町を訪問したり、一躍時の人である。

 この宣言とともに見本市が始まるのだが、そもそも舞台が元来、その雰囲気を高めるように出来ている。というのは、ニュールンベルクの旧市街は、第二次大戦中の空爆によってほとんど壊滅状態となったのだが、戦後それが営々と元の形に、つまり中世以来の市壁と掘まで含めて、そっくり復元されたのである。この町は19世紀以来工業都市として発展して来て、現在バイエルン州でミュンヘンに次ぐ大都市となり、その周辺部の方が数倍に広がって、モダーンな近代都市化して地下鉄すら走っているのだが、中心部は昔のままの形を残している。

  ドイツの大部分は平野と丘陵から成り、日本のように山や谷のような自然の要害に乏しいから、どうしても町を取り巻く防衛壁が必要となる。近代に入って、それらは取り除かれ、大きな環状道路になっている所が多く、ウイーンのように、ずばり「リング」(輪)と名づけているところもある。ちなみに幾つかの幸いにも戦禍を免れた、こういう中世の町を辿る観光道路がロマンチック街道である。そのうちにまた御紹介の機会もあろう。

↑フラウエン門

 市街図を見て頂くと、太く黒い線が高さ5,6メートルの市壁で、駅(100)前にすぐ聖母門が立つ。この辺りは現在、観光向けに中世の手職工房となっていて、ここを通って市中に入る。町の真中をペーグニッツ河が流れ、中世にはこれを境にゼバルドゥスとロレンツ(ともに市の守護聖者)という二つの地域に分れていた。河辺の一帯は沼地だったから、シナゴーグの立つ、ユダヤ人の零細な居住地区だった。ところが河に橋が架けられたので商売人がこの地に目をつけ、当時の神聖ローマ帝国皇帝カール4世に申請して、1349年12月ユダヤ人を偽りの罪名のもとに追い出した。当市の歴史的汚点である。

  神聖ローマ帝国は7人の選帝公が皇帝を選出するという奇妙な帝国で、数百の小国から成っていた。だから首都というものがなく、皇帝は全国を巡回して政務を果たした。現代のドイツに各都市が散在して、日本の東京のように一極集中型でないのはこれに起因する。そしてニュールンベルクは帝国に直属する都市でもあって、カール4世はこの町がお気に入りで、しばしば滞在したという。町の北の端、地図の一番上(16)に城があるが、これを皇帝城(カイザーブルク)と呼ぶのは、そのためで、遂には皇帝選出後の第一回帝国議会は以後この城で開催することが決定された。(叙任式はフランクフルト)そしてユダヤ人居住地区の跡に聖母教会(フラウエンキルヘ)を建てさせ、市(マルクト)の立つ広場(11)を作らせた。市民はそれへの感謝の印として、この教会に大時計をつけ、一定の時間に7人の選帝公の人形が飛び出して、ぐるぐる回る装置を作った。今は観光名物の一つである。
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