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ドイツ我楽多市
第14回 「おもちゃメッセ玩具見本市(Ⅳ)- 匂いと味」  文:Prof. ツヴェルク
 
 見本市には匂いとか香りも加わり、渾然一体となって雰囲気を形成する。ミュンヘンのビール祭りではニシン等の魚も焼いて売っているが、この見本市にはない。昔はジャガ芋の麺類(Potackennudeln)等と共にここでも売られていたそうだが、その匂いが合わないというので追放されたとか。だから結構厳しい選択の後に現在のものが残ったのである。
 その代表が(8)のソーセージと(9)のワインということになるのだが、さりとてこの両者はどちらもむしろドイツの代表といった方がよさそうに見える。つまりお隣のフランスに較べてドイツ料理が、残念ながら少なからぬドイツ人の自認の如く、自慢が出来かねる中で、それでもパンとソーセージとワインが内外で健闘している。パンについてはまたの機会に譲るとして、ソーセージは日本の漬物ぐらい、あるいはそれ以上に種類の豊富な保存食で、どこに行ってもその土地特有のものがあり、ともかく美味いのだが、ニュールンベルクの人は殊更に自慢する。人差し指くらいの大きさで、ウインナーより少し大きいだろうか。鍵穴も通ると言われるくらい小さいから、一人前6個である。焼くと実にいい匂で、食欲をそそること覿面(てきめん)。ザウワークラウト(酢漬けキャベツ)とかおろしワサビ、ジャガ芋サラダなどを添えて食べる。これが看板の老舗もある。
 笑い話がある。ある余所から来た客が、このソーセージを一目見て「ちっぽけだなあ。こりゃ一口だぜ、だがうまい。」と言いながら、次々とロクに噛まずに飲み込むような勢いで食い始めたから、あっという間に喉に詰まらせてしまう。慌てて店主が背中をトントンと叩いて吐き出させると、この男は「ヤレヤレ、それにしても危ないソーセージだなあ。」と文句を言う。すると店主がやり返す。「何をぬかすか。これだから助かったんじゃがな。フランクフルターじゃったらとっくに死んでおるところじゃわい。」小さいのも自慢の種というわけである。
絶対に欠かせないワインの香りは、実は高級ワインには関係がない。寒い時だから、この地方名物のフランケン・ワインではなく、ホットワイン(Gluhwein)である。安い赤ワインにしょうが生姜を擦り込み、砂糖を加えて、うんと熱くしたもの。甘酸っぱい香りが相当にきつく、喉が焼けそうなほど熱いのを、ふうふう吹きながら飲む。卵酒に似て、身体が暖まる。風邪引きの際の民間薬でもある。
干果物入りパン(14) というのは、干梨、干葡萄を入れ、薬味を加えたパン、というよりビスケットに近い菓子。ドイツでは日本のオカキとか豆菓子のような駄菓子が少ないから、干した果物をよく食べるが、それを入れて焼いた香ばしい菓子。

とはいえ、お菓子の香りというと、またしてもレープクーヘンの御登場である。
日本の菓子類にはない香りを放つ。もっともむしろ味を強調すべきか。この菓子を好物にした神聖ローマ皇帝がいる。
眠っていることが多くて、決定を下さないことで有名なフリードリッヒIII世 (1440~93)である。珍しいことに子供好きだったカイザーブルク。皇帝城に子供たちを集めては菓子を与えたという。そこでこのケーキの箱には、この皇帝の顔が描かれている。材料は蜂蜜、小麦粉、卵白、砂糖、マンデル、柑橘類の砂糖漬け、オレンジピール及び様々の薬味等なのだが、これが当地で生まれて名物になったのは、先に述べたように、この町がオリエントやその他との盛んな取引の結果、種々の薬味を豊富に所有していたからである。また当時この町は周囲を豊かな森が囲んでいて、沢山の蜂蜜が採れたからでもある。

上図:レープクーヘンの選帝侯たち

 ちなみにこの蜜から採れる蜜蝋は蝋燭の製造でも町を富ませた。先に「ヘンゼルとグレーテルのオペラ」で紹介したように、このケーキの由来はトルコらしいが、すでにその原型は古代ギリシャ、ローマにあったとの説もある。歴史的事実としては、1644年にこのケーキ製造の職人たちが、独自の職業部門として独立したことが確認されている。その製造法はかなり長い間秘密にされていた。胡椒菓子は、当時は高級菓子だったのである。
 子供たちといえば、面白いことに公顕祭の子供たち(13)もこの玩具祭の構成要素となっている。元来1月6日はキリスト洗礼の日で、4世紀まではこの日が祝日だったのが、当時のシリヤとかエジプトの神々の誕生日が12月25日だったので、同化したという。この日でクリスマスが終わる。子供たちは長い棒の先に星をつけたものを持って、金紙の王冠を被り、歌を歌いながら各家を廻って菓子をもらったり、寄付をねだったりする。星をつけているのは、東方の三賢者が星に導かれて厩を訪れた日でもあるからだ。その中の一人は皮膚の黒いカスパールで、後に教会でこの日に厩訪問の芝居をする際にすでに滑稽な役回りだったが、やがて独立した道化役となり、操り人形のカスパール劇場まで成立した。
クリスマスの話の補足。サンタクロースはドイツの聖ニコラウスとは随分違うと書いたら(玩具見本市(I))、それでもこの見本市の或る写真に、とんがり帽子で、赤い外套、白いふさふさした神様のような髭の、大きな袋を背負った姿が見えるのはどういうわけか、との質問があった。これは19世紀の画家モーリッツ・フォン・シュヴィント(1804~71)がミュンヘンの絵や文句を印刷した、一枚の絵新聞のような印刷物(一枚絵)に画いたのが受けて、以来次第に世界的に広まったのだそうだから、まだ新しいイメージなのである。  
 だから聖ニコラウスには違いないのだが、その性格は日本の我々の想像しているものとは大分違うらしい。そのモデルになった実在のニコラウスは、西暦300年頃、小アジアのミュラという所の司教だった。慈悲深い人だったらしく、何でも、3人の娘を持っていたが、嫁入り支度をさせるだけの金のない、或る哀れな父親のために金の塊を家の中に投げ込んでやったとか。ただその際寒くて窓も戸も閉まっていたので、煙突から中へ落としたところ、たまたま暖炉に干されていた娘たちの靴下の中に入ったという伝説が伝わっている。この話がサンタクロースに引き継がれていることは間違いない。ただドイツでは12月6日の夜に、聖ニコラウスが、幼い子供たちの悪戯を書いた大きな手帳を持ち、その後ろには贈り物の袋を持ったお供のループレヒトを連れて、家々の戸口を叩くのだそうだ。

上図:公顕祭の子どもたち
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