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ドイツ我楽多市
第18回 マンガ?絵本?・・・「マックスとモーリッツ」  文:Prof. ツヴェルク
 
 「くんぺる」には内外の絵本が沢山並べられている。これを見ると、初めてヨーロッパを旅行した時、当時幼かった娘にいずれ読んでやるつもりで幾つかの国で絵本を買ったことを思い出す。最近、片付けをしているとその何冊かが出てきた。その中にドイツの古典的なマンガが一冊あって、絵本ばかりの中でやや異質な印象を与えている。実はこれにはこだわりがある。
 本屋で店員にドイツの代表的な絵本の推薦を頼んで、出されたのがこのマンガだった。こちらは漠然とグリムのような絵本を予測して、マンガは期待していなかったから、絵本(BilderBuch)が欲しいのだが、と念を押すと、先方は少し不快気に語気を強めて、これは絵本である
と断言した。有り体(ありてい)に言って、この中年の気難しそうな女性の、その気迫にのまれて買ってしまったのである。後になってこれが19世紀半ばから、いわば古典的なマンガとして現代も親しまれている「マックスとモーリッツ」であることを知った。しかし何故あの店員はこれを絵本であると主張したのか。どうも不思議で、当時住んでいた寮の連中に尋ねたのだが、皆苦笑して首を振るばかり、はっきりした答えはなかった。
 それ以来この疑問がずっと脳裏を離れなかったので、この久しぶりの再会を機に、少々調べてみることにした。白状すると余り子供たちに読んでやった記憶はない。しかしクレヨンの落書きがあるし、それにかなりバラバラになっているから、何回かは大まかな訳を添えて聞かせたのかも知れない。ただ特に表紙がそうなのだが、各頁も相当に固いボール紙から出来ていて、「ちぎれません」とか「中も外も洗えます」と表書きがあり、さすがドイツだ、繰返し読むであろう子供のためにベンツ並に丈夫に作ってある、と感心したことは覚えているのだが、それでいて上述のような醜い状態なのは何故か分からない。


 著者はヴィルヘルム・ブッシュ。正式な表題は「マックスとモーリッツ悪童物語・7つの悪戯(いたずら)」である。内容は初めに前書きがあって、やれやれ、悪い子供たちの話を、まぁどれくらい聞かされたり、読まされたりすればいいのかしらん?
例えばここにいるマックスとモーリッツという名の悪童の話のように。
この子たちは賢い教えによってよい子になるどころか、それをいつも笑いの種にして、こっそり楽しんでいました。
       ・・・・・・・・・
と始まって、最初の悪戯は、或る一人の寡婦が飼っていた4羽の鶏を仕掛けを作って窒息させてしまう。しかもその時苦しがった鶏どもが暴れてひねり出した卵を持ち逃げするというあらすじである。第2話は、鶏どもの死を悲しんだ老婆が、それでもせめて焼き鳥にしようとグリルの上に並べておくと、丁度焼き上がった頃に煙突からかぎ鉤紐(ひも)を垂らして吊り上げてしまう。・・・等々の少年の悪戯というには少々悪質な悪行が次々と描かれる。そして最後の話では、遂に彼らは捕まって麦と共に製粉機に放り込まれ、轢(ひ)かれてしまう。

←パンに焼かれるシーン...この後パンを脱いで逃げてしまう

 この作品の成立は1865年である。これと同じ頃に出版されている子供向けの絵本に、前に胡桃割り人形の紹介の折に挙げた「胡桃割り人形と哀れなラインホルト」(1851)があり、また同じ著者の「もじゃもじゃ頭のペーター」がその20年前の1845年に出版されている。後者は医師のH.ホフマン(E.T.A.ホフマンとは異なる)が、3才になる息子にクリスマスの贈り物として楽しい絵本を買ってやろうとしたが、フランクフルトの町中を探しても意に適う本がみつからなかったので、自ら話を作り、絵を添えたという、曰くつきのものである。これが結果的に大成功を収めた。そしてここでは絵は添えられたことになっているのだが、実体はそんなものではなく、むしろ各頁の中心の観を呈している。つまりその前の時代には、絵の部分は物語を視覚的に補強し説明するもの、即ち挿し絵の役割しか果たしていなかったのが、この頃には立場が逆転して、まさに絵本が作られていたのだ。
 そもそも子供のための本というものは、18世紀の半ばまで存在しなかった。コメニウスの「世界図絵」(1658)のような僅(わず)かな例外を除いて、「オイレンシュピーゲル」のようなルネッサンス期のいわゆる民衆本は大人向けの読み物だったし、「ロビンソン・クルーソー」や「ガリバー旅行記」は今でこそ少年用だが、本来は成人向けだった。元来、子供は小さな大人ではなく、特殊な発達過程であるという認識
が生まれたのがやっと18世紀の後半、いわゆる啓蒙主義(けいもうしゅぎ)の時代で、そこから教育が重視され始めたのである。子供の理性的教育が眼目に据えられ、子供を道徳的、知的に未成熟な段階から大人の成熟へと導くことが目標であった。そこで寓話の形式が最高の物語形式と考えられ、子供向けの雑誌もこれで満たされることとなった。イソップが人口に膾炙(かいしゃ)したのもこの頃である。

 この傾向が19世紀の初めのロマン主義の時代になると方向を転じて、メルヘンの形式へと向かうようになる。「胡桃割り人形」(1816)やグリムの有名な「子供と家庭のための昔話」(1812)はその中で出された。しかし「ドイツ我楽多市」の16号に述べたように、グリムの初版には挿し絵は全く入っていない。「胡桃割り人形」にも銅版画が一枚入っているだけである。つまり子供向けの本が誕生しても初期には言葉が中心で、絵はほんの脇役にすぎなかった。それが絵の多い方が徐々に人気が高くなって、段々と多く挿入されるようになり、絵本が成立した。だが事態は更に進んで遂には位置が逆転し、言葉が従となる。「マックスとモーリッツ」は丁度その境目にあったことになる。絵本の最後であり、マンガの先駆だったのだ。ドイツの店員は、この絵本史に通じていたから、こだわったのかもしれない。何しろちゃんと国家試験にパスした人が店員というお国柄なのだから。
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