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ドイツ我楽多市
第22回 マイセン陶器とドイツ人の考え方  文:Prof. ツヴェルク
 
 ドイツで或る教授の自宅に家族一同が招かれた時のこと、食後におしゃべりしていると、学生だった娘の退屈を察した教授夫人が、自分の宝物を見せようと別室に案内をされた。そこにはマイセン陶器の素晴らしいコレクションがあったとか。博物館以外で、それだけ沢山のマイセンを間近に見たのは初めてだった娘は戻って来ると、ただ、きれいだ、の連発だった。そしてその後、夫人は、ドイツでは結婚式の祝いにマイセンの、例えばパン皿を贈られるから、その後二人で段々とコーヒーカップとかスープ皿をゆっくりと買い足して行って、セットにすればよいのだ、という趣旨のことを言われた。
 そういう風習があるのは承知していたが、具体的な実行を示唆されたのは初めてだったから印象深かった。しかし問題はこの「段々と」である。余り長くかかると流行遅れになって、揃わなくなる危険性はないのか?夫人によると全くないとのことだったが、気になって後から少々調べてみた。そして驚いた、というより呆れた。この磁器が日本の伊万里焼などの影響のもとに、ザクセンの王アウグストⅡ世の指示で錬金術師ベトガーによって開発された事実はよく知られているが、1710年に当時のザクセン王国の王室磁器工場が出発して以来、約3世紀が経って、その間に当所で生み出された様々な模様の15万点が今でも製作可能だというのである。全ての石膏製の型が保管されているのだそうである。だから十代くらい前の祖母が嫁入りした時の茶道具を代々受け継ぎ、今でも欠けたら注文出来るというわけである。上の教授夫人のコレクションも元は叔母に当る人からの引き継ぎなのだとか。

    実はその前にドイツの別の知人から、コーヒーカップの皿だけをプレゼントとされたことがあった。白状すると、その時はカップの方が割れて、皿だけ残っても仕方がないから進呈されたのかと失礼なことを想像した。だが本当は、日本では恐らく考えられない、息の長いサービスが背景にある贈り物だったのだ。その後カップを当方で買ったのは言うまでもない。有名な青いタマネギ模様のカップで、裏面には剣を交差させた商標が入っている。

 マイセンは旧東ドイツの、ザクセン州の首都ドレースデンから20キロほどのエルベ河のほとりにある。東西合併など夢にすら出て来なかった頃、ドレースデンの知人を尋ねて行った時、日本人はマイセンが好きだから、と言われて自動車で連れていってくれた。しかし肝心の陶器工場は行ったところで入れて貰えませんよ、ということで残念ながら古い町並みとドームの見物だけで満足せざるを得なかった。マイセン陶器は東ドイツの貴重な外貨獲得生産物だったから、仕方なかったのか。日本もよいお得意らしい。

 その頃の東ドイツを舞台にした映画を見たことがある。題は正確ではないが「マイセン幻影」というのではなかったかと思う。あらすじもうろ覚えなのだが、或る競売場で古マイセンの陶器人形を僅かな差でさらわれたアメリカ人の収集家が、その人形が或るセットの一部だったことから、これはよほどのマイセン通に違いないと思い、その買い手探しに取りかかる。その結果判明したところでは、東ベルリンで一人暮らしの旧伯爵だった。そして尋ねて行って、その素晴らしいコレクションに陶然(とうぜん)となる。しかし伯爵は老齢で病んでいたから、以後このアメリカ人にはその死後のコレクションの行方だけが問題となるが、これは東ドイツ政府の高官も狙っていて、国家の名で没収する予定であった。しかし伯爵の死後、尋ねて行ったアメリカ人は呆然となる。何一つ残っていなかった。伯爵は死の床で召使いの女に命じて、全部目の前で割らせたのである。

 この筋立ての正確さは保証出来ないが、その都度主人公の頷(うなず)きによって確認をしながら召使いが一つまた一つと落として割って行く、最後の場面での破片の飛ぶ煌(きら)めきだけは鮮明に脳裏に焼きついている。二つの巨大な政治世界に挟まれたドイツ・ロマン主義の運命の表明だろうか。白黒映画だったから、登場する夥(おびただ)しい古マイセンがはっきり見えなかったのは残念だった。もっとも、逆にその効果を発揮して、まさに幻影という感じをよく出していたとも言える。その頃丁度ドイツの知人からマイセン焼の分厚い写真集を贈られて、この映画の本当の主人公のマイセン人形は、バロック様式の居城(きょじょう)に設けられたロココ調の客室などに飾られると本当にぴったりすると知った。むろん博物館に置かれているものとか、あるいは写真集などからだけでもその美しさは充分想像は出来る。筆者も本当にささやかなものだが、17世紀風に複雑繊細なひだ襞の多いクリノリンスカートをまとった貴婦人の像を手に入れて、筆者の毎朝は子犬を連れたその姿への挨拶で始まることになっている。それにしても不思議に思うのは、何故日本の焼物、伊万里だとか萩焼だとかは人形を焼かないのか。明治初期の伊万里焼の婦人像を若干見たことがあるが、それだけらしい。今では、せいぜいのところ招き猫ぐらいのものか。人物像は博多人形に委せてしまったのか。
 ところで先年筆者夫婦が娘夫婦を連れて北ドイツの知人の家に立ち寄った時、丁度この夫人の両親が財産を処分した後とかで、その中のマイセンのコレクションを譲り受けたと聞かされた。そしてその中から娘夫婦は結婚記念に一対のコーヒーカップとパン皿を贈られたのである。これでセットに整えるきっかけが出来たなと思いながら、ピンクの薔薇と勿忘草(わすれなぐさ)の模様のカップを眺めているうちに、マイセンのベットガーが軟禁されながら研究したというアルブレヒト城が彷彿(ほうふつ)として来た。ただどういうわけかベルリンの壁が崩れる前頃からドレースデンの知人との連絡は途絶えている。そのうちに今一度尋ねてゆかねばなるまい。マイセンには今は博物館があるそうだ。日本では有田にドレースデンのツヴィンガー宮殿とそっくりの素晴らしいポーセリングパークがあり、今のところ、一番沢山陳列してあるのではないか。ただしその喫茶店でマイセンとかジノリで飲ませるコーヒーはべらぼうに高かった。

画像:娘夫婦に贈られたカップ
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